トップ >ノーサイドヒストリー >第16話:釜石ナイト、戦慄のデビュー
No Side History
第16話:釜石ナイト、戦慄のデビュー
先に「スクラム釜石」の皆様がご来店頂いたことは昨日お伝えしました。
その際、「2011年、東日本大震災を超えてお店をオープンした経緯から予てより震災復興へ寄付や募金以上に 何かより具体的なことをしたいと考えているのですが...」との考えを伝えたところ、二つ返事で共同主催イベント開催のご提案を頂き、2012年6月から、 今や「ノーサイドライブ」と共にお店のイベントの2トップとしてイベント一の摂酒量を誇る「スクラム釜石」さんとの共同開催イベント「釜石ナイト」のスタートが決定しました。
そして迎えた第一回目の2012年6月27日。
震災復興への募金を募り、スクラム釜石の皆様より喫緊の活動状況をレポートして頂いたのですが...
いやはや釜石の底力を芯から思い知らされました!!!
新日鐵釜石V7戦士の炎のフランカー高橋博行さんを筆頭にスポーツライター大友信彦さん、 永田洋光さん、スクラム釜石の三笠広介理事と早川こーじー理事、黒滝豊理事始め、釜石の皆様は、まぁ、よく飲むよく飲む!!!!
もちろん、きちんと一定量、在庫を用意しておいたのですが、ハイボールやレモンサワーへの浮気もなく、ただただ生ビールピッチャー一本に集中。
その結果...
ピッチャーのオカワリがあまりに多すぎてなんと!!!
生ビールの樽全てが空になり、無くなってしまったのです(笑)!!!
生樽の在庫が無くなったのはW杯含めて後にも先にもこの時だけ!!
そのあまりの膨大な摂酒量には驚きを通り越して感動と清々しさえ覚えるという(笑)
ラグビーだけじゃなく、お酒も日本一だったという釜石の強さと恐ろしさを思い知らされた「釜石ナイト」第一回目でした。
そんな初の毎月開催の定期イベントも決まり、黎明期から次のステージへと発展を遂げようと必死に踠いていたあの頃。
では、カウンターを彩ってくれていたのは?
それが二つ目の「か」のヒントです。
(明日へ続きます)
★from 容子
「釜石ナイト...始まりからすごかったんだ。もう毎月毎月が凄すぎて…大変さは毎回アップデートされる勢いです!
お酒の量もだしとにかく伝票の数が半端ない。
普通のお店ならテーブル毎なのにうちでは皆さま別会計。
同じテーブルでもお一人様でのご来店でそれぞれが相席って事も珍しくない。
はじめましてでも共通の『釜石』があるからすぐ仲良くなられてさらにお酒がすすむ!っていうこのループ。
そりゃあお酒でるわー!
新人スタッフにとっては地獄のイベントです。
お客様の名前から覚えないと伝票つけられないし、覚えてなければ『4番テーブルのあのメガネの』って言われて、 見たら全員メガネだし…なんて事はしょっちゅうで。笑
と、釜石ナイトの裏側はスタッフも色んなものと戦っております!!」