高田馬場にあるラグビーダイナー「ノーサイドクラブ」

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Noside History

「第六話:2011年7月22日」

いよいよ開店日当日。

前夜の大誤算によるラグビーやトレーニングでは決して感じ得ない、

立ち仕事の独特な疲労感と精神的なダメージを全身に感じながらまず向かったのは当時自宅のあった西新宿の区役所。

前夜にどんなことが起きても、もう引き下がることは出来ない。

なぜなら
「容子との入籍と開店を同日にすることで公私共々背水の陣を敷く」
ということをお店のオープンが現実のものとなった時からずっと決めていたから。


容子にも事前に二つ返事でOKを頂き、当日、土壇場での「水曜日のダウンタウン」的なドッキリもなく(笑)、人生の新たなスタートへの決意と契りを結び、いよいよお店へ。

オープニングスタッフの増田春香ちゃん(HARU 9)、宇野彩子ちゃん(SAE 3)、天坂麻衣子ちゃん(MAI 1216)と共に反省を活かしながら、開店準備を進めた後、たくさんのお祝いのお花と多数のお客さまに囲まれながらオープン。

前夜の経験が逆にスタッフ内に強い結束をもたらしたのか、終始、業務はスムーズに運び、特に大きな問題も起こらず、笑顔と祝福の中、Herbie Hancockでいうところの"Maiden Voyage”を無事に終えることが出来ました。

その後は来たる9月のワールドカップへ向け、メニューやレギュレーションなども随時アップデイト。


新進気鋭のクエイド・クーパー選手とウィル・ゲニア選手率いるレッズが当時、絶対的強さを誇っていたNZのクルセイダーズと南アのブルズという2強を退け、初優勝を飾ったプレーオフの映像を放映しつつ、トライ&エラーを繰り返しながらも何とか毎夜乗り越えていきました。


週末でも満席になることはほぼ皆無でしたが、それでもラグビーチーム先輩の山本恵さんやビールブラザーズ次兄の高花勇さん、当時はまだ藤平さんと呼んでいたぽうるさん 、ラグビーマニアのイチローさん、KIWIのJoel、ストリートラグビーの皆さま、お店オープンに際し色々とご相談に乗って頂いた八百久美子さん、そして宮古島クルーの佐藤健祐君らには特によくご来店頂いたことを今でも覚えています。


さらに8月に入ってからは当時NTTコミュニケーションズシャイニングアークスに所属されていた君島良夫選手(現在はJapan Elite Kickingにて日本初のプロキックコーチとして大活躍中!)と倉林史和選手、元日本代表/NTTコムのスタープレイヤー山田章仁選手など選手やOBの方々にも徐々にご来店頂くようになり、少しずつ、本当に少しずつではありますが、一歩一歩、ラグビーバーとしての歩みを進めてまいりました。


そして2011年8月某日。
ノーサイドクラブの未来を変える運命的なご縁と出会いが!!



それがノーサイドクラブの恩人、日本ラグビー界随一のスムースオペレイター、京都弁混じりが尚癒されるマイナスイオンに包まれた美声とメガネから覗く優しい眼差しが創る150万ドルの笑顔でスポーツとして、文化として、精神性として、敷居は低く、奥行きはうなぎの寝床の如く深く、ラグビーの様々な魅力を誰よりも分かりやすく伝えるラグビージャーナリスト村上晃一さんでした!


(明日へ続きます)









★Message from 容子

「2011.7.22。スムーズにとマスターは言ってるけど全然スムーズじゃなかった記憶が… 
まず区役所でもあれが足りない的な事があったはず。
なんとか受理され、西新宿から自転車で30分かけてお店へ。
まだ慣れない自転車通勤。それだけでもヘトヘトなのに。
着いたら沢山のお花が届く届く。


こんなの想定外。
オープンまで時間がない…お花出してはダンボールを潰して、お花を並べる。
なんとか開店。美容院時代の仲間やお世話になったAVEDAの方々、みんなに来ていただき華々しいスタートが切れました。

その後は…だけど。」












 

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