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Noside History

「第二十七話:いざ釜石へ」

イベントスタートから1年が経ち、スクラム釜石さんのご活動はさらに活発化、それに伴う知名度と震災復興、そしてラグビーワールドカップ2019日本大会釜石招致へ向けた気運のより一層の向上の影響もあり、毎月大盛況を見せていた「釜石ナイト」。

そのイベントの終わり際、ふと漏らした容子の一言が全ての始まりでした。

「みんなで釜石に行かない?」


釜石始め東北全体の震災復興を願うイベントを毎月開催しているにもかかわらず、一度も足を運んだことはなく、被災地の現場へも訪れたことも見たこともない。


実は僕もそんな自分に疑問を持ってはいたのですが…


まさか容子から先にその提案を持ちかけてくれるとは心にも思わず、先の一言を耳にした瞬間、まさに「我が意を得たり」と言わんばかりにめちゃくちゃ嬉しくなり、二つ返事で「行こう!ツアーをやろう!!」と答えたのをよく覚えています。


すぐさまスクラム釜石の早川コージー理事に相談。


フットワークの軽さと無尽蔵な許容力が魅力のコージー理事にも手放しでご賛同頂き、敏腕ツアーコンダクターチンピラ片山さんコーディネートのもと、釜石への想いを一つに総勢25名もの皆さまと三陸へ向かいました。


実際にこの目で見た釜石は...


ある程度覚悟はしていたものの、その予想を遥かに凌駕する被害と現実に絶句。


震災復興象徴の語り部としてその後、全国各地を渡り歩いた宝来館の岩崎女将さんによる涙無しには伺うことの出来ない、あまりにリアルすぎる震災時の体験談。

市内の至る所で散見された仮設住宅での厳しい生活。

「釜石の悲劇」の舞台となった今は亡き鵜住居防災センターで見たひん曲がった鉄柱に恐ろしいまでの津波の威力と爪痕を見ました。

全てが流され、塵まみれの土砂しかなかった鵜住居小学校跡地。

6年後、ここにあんなにも立派なスタジアムが建立されるとはこの時、想像すら出来なかったことは言うまでもありません。

ディレクションされた映像だけが放映される
テレビに映っていたそれらとは全く違い、辛く儚く厳しく過酷、そして残酷。


被災された全ての皆さまへ、ツアーメンバー全員で両手を合わせ、心よりお祈りを捧げました。


夜は日本選手権7連覇、新日鉄釜石ラグビー部の北の鉄人の皆さまが血と汗と涙を流した松倉グラウンドに立たせて頂いた感動を肴に三陸の幸、特に秋刀魚のお刺身と釜石の地酒「浜千鳥」の美味しさに舌鼓。


その時、津波で流されたお店を一堂に集めた
仮設の飲食店街「呑ん兵衛横丁/はまゆり飲食店街」のお母さんに言われた言葉がこちらです。


「釜石に来てくれるのはとても嬉しいけど、大体は皆さん一度だけ。
来年も再来年も来てくれて、釜石や被災地の実状を東京で一人でも多くの人に伝えてもらえるともっと嬉しいです。
何よりも一番悲しいのは風化していくことだから。」


この言葉こそがその後、今日に至るまで7年連続で釜石へ足を運んだ原動力、その全てとなったのであります。
(明日へ続きます)


★Message from 容子
「釜石とは縁もゆかりもなかった私が釜石ナイトを通じて釜石とのご縁をいただきました。
一年目の釜石ツアー…あの時の光景、女将さんのお話を忘れることはない。
涙涙だった昼間と美味しい釜石の幸に笑顔になった夜。
あれから紆余曲折がありながらも釜石ツアーを続けられているのは
温かく迎えてくださる釜石のみなさまとコージー(早川こうじ)がいてくれるおかげ。
コージー毎年ありがとう❤️」

 

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